2025年イースターのごあんない -「待っていてくださる方がおられる」

「ああ、困ったなあ、と思ったとき、あなたは『助けて』と誰かに言えるだろうか。---『手伝って』と声に出せるだろうか。そんな何かを頼む力を表す『受授力』という言葉がある」と2025年1月8日の朝日新聞の天声人語で紹介されていました。「『私も、弱みを見せること、弱音をはくというのは、すごく勇気のいることでした』。医師で、神奈川県の県立保健福祉大学教授、吉田穂波さん(51)は話す」とありました。それを読み、自分の弱さを知り、助けられる経験をする時、その喜びや感謝の心を分かち合い、助けを受けないと生きていけない、謙虚な者にされると私は思いました。

聖書には、十字架で処刑されたイエス・キリストが、三日後に復活されたと書かれています。その復活に出会ったマグダラのマリアともう一人のマリアは、イエス様がガリラヤで活動していた時、病や悪霊から癒され、助けられた、弱さを抱える女の人たちでした。彼らは自分たちを助けてくださったイエス様から離れず、十字架を見つめ、葬られた墓に立ち会いました。そして、三日目の早朝、油を塗り、香料を注ごうとその墓に行った時、墓は空になっていました。「御使いは女たちに言った。『あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。---『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。」言われました(マタイ28:7)。

ガリラヤは、弟子たちがイエス様と生活を共にし、多くの奇跡や神の国の教えを聞き、祝福を経験した場所です。その弟子たちはイエス様が十字架に付けられた時、みな裏切り、郷里のガリラヤに戻りました。そこで復活のイエス様にお会いすると言われ、どんな気持ちだったでしょう。自分たちの弱さや失敗が指摘されることを恐れたなら。再開を喜べなかったでしょう。しかし、イエス様は弟子たちに会い、罪の赦しと死んでも生きるいのちを経験させました。そして、その喜びを全世界に出て行って伝えるように、新たな使命を託しました。これが復活のイエス様の愛です。

「幸福の黄色いハンカチ」という、山田洋次監督、高倉健主演の映画があります。主人公・島勇作を演じる高倉健は倍賞千恵子が演じる妻・光枝の流産を通して彼女の過去を知り、ふてくされて酒を飲みに行き、酔った勢いでチンピラと喧嘩して相手を殺し、網走刑務所に収監されます。勇作は離婚を決意し、面会にきた光枝に「今ならお前はまだ若いし、その気ならいい男もいるかもしれん」と諭します。不器用な生き方しかできない、男の愛情表現でした。出所後、勇作は網走で葉書きを出し、1人で夕張に向かいます。「もし、まだ1人暮らしで待っていてくれるなら…黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ、それが目印だ」と。道中、気持ちが揺れる勇作でしたが、連れ合った若者たちに励まされ、夕張に向かいます。夕張に着くと、視線の先には何十枚もの黄色いハンカチがたなびいていました。勇作は背中を押され光枝に向かい、再会します。見つめ合う二人は言葉なく、光枝は待っていた夫が帰って来たことに涙するのです。

「待っていてくれる方がいる」というのは、なんと大きな愛でしょうか。それまでの苦労も、孤独も、心の痛みも受け入れられ、報われる瞬間です。今日私たちを待っている黄色いハンカチは何でしょう。それはイエス様の十字架と復活です。十字架に付けられ死んだイエス様が三日目によみがえられた故に、私たちを待っていてくださいます。このイエス様は、「見よ。世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束してくださっています。このイエス様に信頼し、いつまでも共に歩まれますように。

キリスト教朝顔教会牧師 三浦春壽

(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

イエス・キリストの受難を思う夕べ

2025年4月18日(金) 19時より

聖書と賛美の調べにのせて、イエス・キリストの受難を覚えるひとときです。キリスト教がなぜ十字架を使うのかも知ることができます。(礼拝として行います)

イースター礼拝

2025年4月20日(日) 午前10時半より ※YouTube配信もございます。

イースターを記念して祝う礼拝です。

配信URLは前日19日(土)までにここでお知らせします。