ご挨拶
教会は初めてという方へ
イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです。」(ルカの福音書5:31,32)
食事と言う言葉は、「人を良くする事」と書くと言われます。確かに、食事を口から取れなくなると、私達の健康に問題があり、いのちの終わりが近くなります。逆に食事をする事は喜びであり、楽しみです。空腹を感じ、食べたいと思えるのは健康の印であり、いのちに満ちています。
イエス様ご自身も食事を大切にされ、喜ばれました。人々から『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』とさえ言われました。イエス様は食事を喜ばれ、食事を通して、いのちの大切さと豊かに生きる事を人々に教えました。
イエス様が取税人や罪人達と一緒に食事をしていた時、パリサイ人や律法学者たちがつぶやいて言いました。「なぜ、あなたがたは、取税人や罪人どもと一緒に飲み食いするのですか」と。その様な批判に応えて言われたのが上に掲げた聖書の言葉です。
イエス様の言葉には二つの意味があります。第一は、「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためにではなく、罪人を招くために来たのです」と言う点です。つまり、自分の病気を知る人が医者に診てもらうように、私達の内側、魂や生活の中にある病気、問題、悩みを抱え、失望している人の所にこそイエス様が来られたと言う事です。もう一つは、「悔い改めさせるために来たのです」と言う点です。「悔い改めさせる」と言われると抵抗があるかもしれません。
しかし、本来の意味は、「方向を転換する」です。「自己中心の、我儘な生き方から、神様の御心を求める生き方に方向を変える」と言う意味です。つまり、言葉にも行動にも自制の効かない、自分の欲望のままに生き、自分をも他人をも傷つけ混乱を招く自分のあり方を知り、失望し、生きる意味を見いだせずにいる人を救う為にイエス様が来られたのだと言う事です。そして、イエス様の所に来て一緒に食事をし、魂の面でも霊的にも、肉体的にも健康を回復し、喜びと感謝、平和と希望を持って生きる様に変えて下さる為に来たとイエス様は語っています。
M兄は、娘家族と一緒に住むようになり、何もかもうまくいかなくなって、路上生活をしなければならない覚悟を持って家を飛び出しました。心細い気持で歩いていた処、目の前に見えた教会の看板を見て礼拝に出席しました。何も分からないまま、温かく迎えてくれた教会員との礼拝後のおしゃべりや食事に心が融け、自分の諸々の問題を話し祈ってもらいました。それから毎週教会に来るようになり、イエス様を信じ、救われました。今では奥さんとも娘夫婦とも和解し、救われた喜びを証ししています。
皆様方が気軽にお出かけ下さるようお待ちしています。
キリスト教朝顔教会牧師 三浦春壽