2021年イースターのごあんない
- 「弟子たちとペテロに。」 -
生きていることの尊さ
「ある日学校の先生が 生徒の前で説教した テストで100点取らへんと 立派な人にはなれまへん ------」
というフォークソング(注)がありました。「------」の部分は激しいことばですから記しませんが、今も昔も、何かできないと評価されない、「良い人」ではないとされる傾向があり、息苦しくさせます。生きていること、存在していることの価値が認められない社会は、生きる意欲を失わせ、思いやりや優しさを奪い、遂に自滅していくことになるかと思います。
イエス・キリストの復活の朝、「マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは、… 墓に」行きました(マルコ16:1-2)。すると墓の入り口の石は転がされ、中に入ると、キリストの遺体はなく、真っ白な衣をまとった青年が座っているのを見て非常に驚きました。この青年は、驚かないように言われ、「十字架に付けられたナザレのイエスはよみがえられました。ここにはいません。…さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。… 前に言われたとおり、ガリラヤでお会いできます」と伝えました。この個所から、聖書はこの世で蔑まれている人、失敗している人を見捨てない、神様の愛を知らされます。当時、女の人は社会的な存在価値が低く、その証言さえ信じられませんでした。しかし、その女たちはイエス様を慕い、他の人にない愛を表すものでした。愛(いと)しさを持ち続ける女の人の心は、救い主の復活に出会わせます。人にどう見られるかではなく、イエス・キリストの救いを求め、信じる心は、キリストの復活に出会わせます。そして、罪の赦しとキリストの復活に驚くと共に大きな喜びに満たされ、弟子たちに知らせに走らせます。それは、喜びを分かち合う者とされると共に(マタイ28:8)、復活のいのちに生かされる姿です。
もう一つ、教えられるのは「弟子たちとペテロに伝えなさい」との御使いのことばです。ペテロはキリストが十字架に付けられるのを目の前にして、「そんな人は知らない」と「鶏が二度鳴く前に、三度キリストを知らない」(マルコ14:72)と言って、キリストを否定しました。そして、予告されていた通りになった自分を知り、泣き崩れました(マルコ14:72)。失敗の多い自分を認め、落ち込むペテロにもキリストの復活が知らされ、復活のいのちを受けて新しくやり直すことができることを聖書は教えます。つまり、どんな人をも神様は愛し、キリストによって救い、神と共に歩む「永遠のいのち」を受けて生きることができることを約束しています。 「15歳のエイミーは学校でAしか取ったことがない優秀な学生でした。そんな彼女が通知簿で初めてBの評価をもらった時、両親はとても怒りました。彼女は答えました。『結果がだめなのは、人間がだめってこと。』このことばはエイミーの遺言でした。エイミーは無条件の愛というものを経験していなかったので、自分が何者なのかわかっていませんでした。」(ジェイムス・フーストン「心の渇望」P15)。
コロナ禍の中、落ち込み、絶望することが多いかも知れません。しかし、生きることを諦める必要はないのです。たとい、人が忘れ、産みの女が忘れても、神様は決して忘れず、神様ご自身の手のひらにあなたの名を刻んだと言われます(イザヤ49:15-16)。この神なるお方が、私たちを救い、永遠のいのちを与えるためにキリストをよみがえらせたのです。
キリスト教朝顔教会牧師 三浦春壽
(注) 岡林信康「くそくらえ節」
イエス・キリストの受難を思う夕べ ※配信は終了しました
2021年4月2日(金)午後7時よりYouTube配信
聖書の御言葉と、讃美と、パイプオルガンの調べにより、イエス・キリストの受難を覚えるひとときです。(礼拝として行います。)
プログラム
前奏 「十字架の上の神の小羊」(J.S.バッハ) 奏楽者 聖書 詩篇 8:1−2 朗読者 賛美歌 「十字架の上の神の小羊」(123) 奏楽者 聖書 マルコ 11:1−12 朗読者 オルガン 「人よ、汝が罪の大いなるを嘆き」(J.S.バッハ) 奏楽者 聖書 ルカ 23:13−25 朗読者 讃美歌 「血潮したたる」(126) 奏楽者 オルガン 「血潮したたる」(D.ブクステフーデ) 奏楽者 聖書 マルコ 15:33−39 朗読者 メッセージ「十字架の叫び後の希望」 三浦師 会衆讃美 「主イエスの死なれた」(122) 奏楽者 祝祷 三浦師 後奏 「見よ、十字架を」(J.ブラームス) 奏楽者 メッセージ 三浦春壽牧師 聖書朗読 湊信明兄 奏楽 原田仁美姉
イースター礼拝
2021年4月4日(日) 午前10時半よりYouTube配信いたします。
イースターを記念して祝う礼拝です。
配信URL : https://youtu.be/M8n7tWQeKb4