2014年イースターのごあんない - 変えられるのです -

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桜の季節がやってきました。咲く花も散り落ちる花びらも、春の香りと共に人々の心に喜びや元気を与えてくれます。この季節の勢いに耐えられない人もいるようですが、日差しの温もりは寒さを耐え忍んできた人々への和みではないでしょうか。春はまた生き物に元気を与えます。羽ばたく時を待つ鳥の雛たちや蝶になる前の毛虫たち、カエルのオタマジャクシなど、自然界には姿を変えていくものが多くあります。そのような現象を見る時、「いのち」は変化をもたらし、成熟へと向かわせ、美しく変えていくエネルギーに満ちていると教えられます。

聖書には、「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Uコリント4:16-18)という言葉があります。それは、内なる人が日々新しく変えられ、神の栄光が現されるようになるためですと言われています。

今年も、イエス・キリストの復活をお祝いするイースターの季節になりました。罪を犯し、その結果として死にゆく私たちの身代わりになって、キリストは十字架につけられ、死んで後、三日目によみがえられた、その事実を伝え、喜ぶのが復活祭(イースター) です。それは、単に世界中でお祝いされるよりは、むしろ、私たちの内にある罪がもたらす汚れ、争い、混乱、空しさや不幸から救いだし、新しい「いのち」を与え、美しく変えられて生きる人生のあることを伝え、教えています。それは人々に、新しく変えられる人生への期待と希望を与えます。

青森の神経らいに病む人々の保養施設にいた人々は、その手の指が落ちてすりこぎのようになっていたり、指があっても「がに手」になり、指が伸びない方々でした。彼らは、復活のイエス・キリストの「いのち」と御力によって、卑しいからだを、キリストご自身の栄光のからだに変えられることに望みを置いて生きていました。一人の兄弟は、指のない両手を胸にあてて、「神様、私たちが待ち望むものはこの世のものではありません。どんなに素晴らしいものでも、両眼は光を失って見えず、手でつかむ指もありません。しかし、キリストが来られる時、毛虫が蝶に変えられるように、私たちもキリストの栄光のからだに変えられ、顔と顔とを合わせ、手に手を取って、ハレルヤと歌えるのです。アーメン。主よ来てください」と祈りました。外なる人は日々衰え朽ちても、内なる人を日々新にして下さると約束されたキリストは死人の中からよみがえられました。このキリストに望みおいて失望させられない人生があることを、イースターは伝えています。

キリスト教朝顔教会 牧師 三浦春壽

イースター礼拝

4月20日(日) 10:30〜12:00

イースターを記念して祝う礼拝です。教会が初めての方もぜひお越しください。

イエス・キリストの受難を思う夕べ

4月18日(金) 19:00〜20:30ころ

聖書の御言葉と、讃美と、パイプオルガンの調べにより、イエス・キリストの受難を覚えるひとときです。(礼拝として行います。クリスチャンの方には、聖餐式があります。)