2012年イースターのごあんない
私たちの本当の幸せとは?−イースターの意味を考える−

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イースターおめでとうございます。

いよいよ新しい年度が始まり、入園や入学、就職や転勤など、皆様それぞれに新しい日々を過ごされていることと思います。また一方で、年度末のお忙しい日々から解放され、少し落ち着いた日常を取り戻されている方もいらっしゃることでしょう。

さて、冒頭で『イースターおめでとうございます』とご挨拶させて頂きました。イースターというのは、今から二千年ほど前の事ですが、神様の御子であるイエス・キリストが十字架によって処刑され、三日後に復活された、その復活をお祝いする日のことです。

このように説明しても、恐らく多くの方は、そんな二千年も前のお話が現代を生きる私たちの生活や人生に何の関係があるのかと思われるかもしれません。そんなことよりも、新しく始まった2012年の日常生活を上手く生きていくことやこれから先の将来の計画を考えたりすることのほうがずっと重要なことだとお考えだと思います。

そもそも、多くの方は、『神様はいない』と考えたり、あるいは『神様はいるかもしれないけれど、私の人生とは何の関係もない』と考えたりします。また一方で、もし神様を信じたなら、幸せになれるのか。受験も仕事も恋愛も結婚も成功するのか。友人関係や家族との関係も上手くいくようになるのか。もしそうなればいくらでも神様を信じようと考えるかもしれません。しかし実際には自分の思い描くような幸せとは程遠く、相変わらず悲しみも苦しみも悩みも絶えることはありません。ですから、多くの方は神様に失望し、神様を信じる事をやめてしまいます。

しかし、私たちにとって、幸いなこととは何でしょうか。私たちが、本当は一番欲しいと願っていることは何でしょうか。それは心の中にいつも平安があることではないでしょうか。深い悲しみの中にある時でも、いつも揺るがない希望を見つけたい。多くの苦しみや悩みの中にあっても、失われることのない希望を手に入れたい。本当はそれを一番に願っているのではないでしょうか。まさしくそれこそが、神様が私たちに下さるものです。神様が下さる平安や喜びは、人が思い描くようなものではありません。それは私たちが想像するよりもっと良いものです。

聖書の中で、イエス様はこのようにおっしゃっています。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネの福音書14章27節)

神様はどんな時でも私たちのことを愛してくださっています。私たちが気付かなくても神様は、いつも私たちと共に日々歩んで下さっています。私たちはそのことを知らないし、気付かないのですが、神様は一方的にいつも私たちのことを心配して下さっているのです。

この神様の愛と恵みとあわれみ、神様ご自身が私たち一人一人の存在をお創りになり、いのちを与え、またイエス・キリストは私たちのために身代わりとなるため十字架に架かり、死に打ち勝つためよみがえられたということを、一人でも多くの方に知って頂きたいと切に祈っています。それが私たちキリスト者の切なる祈りです。

「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。」(エペソ人への手紙3章19節)

どうぞ、どなたでも、いつでも教会へお越しください。

キリスト教 朝顔教会 副牧師 三木新

イースター礼拝

4月8日(日) 10:30〜12:00

イースターを記念して祝う礼拝です。教会が初めての方もぜひお越しください。

イエス・キリストの受難を思う夕べ

4月6日(金) 19:00〜20:30ころ

聖書の御言葉と、讃美と、パイプオルガンの調べにより、イエス・キリストの受難を覚えるひとときです。(礼拝として行います。クリスチャンの方には、聖餐式があります。)