2011年イースターのごあんない

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3月11日、東北関東地方を中心に未曾有の惨事が起きました。多くの犠牲者が出、その家族や関係者、さらには日本中、世界中が悲しみに打ちひしがれました。家族と別れ別れになった方、避難生活を余儀なくされ、物資の欠乏や寒さで心も身体も震える思いをされた方、その方々が今もなおいることを思うと胸が痛みます。ある人は、自分の命を惜しまずに果敢にも救援に向かい、そのまま惨事に巻き込まれました。私自身、この惨事を目の当たりにし、人間は「人のためなら命を捨てるほどの覚悟を持つ」のだと、人間の高貴さを知りました。

聖書の中にこのような言葉があります。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
(ヨハネの福音書15章13節)
これはクリスチャンが信じるイエス・キリストのことばです。

さて、皆さんは、イースター(復活祭)という言葉をお聞きになったことはあるでしょうか。イースターは、イエス・キリストが私たち人間の全ての罪を背負って十字架に架けられて亡くなり、3日目に死に打ち勝ってよみがえられたことを喜び、お祝いする日です。キリスト教会では、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスと同じくらい、このイースターをお祝いしています。イエス・キリストの復活は、歴史や学校の授業で聞いた方もおられるかと思います。しかし、大抵の人は現実のこととして信じられないのです。人が死んでまた生き返るということは常識では考えられないからです。

しかし、聖書で「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、…私たちはすべての人の中で一番哀れな者です」(コリント人への手紙第1 15章17節〜19節)と言われているのを考えたら、どうでしょうか。多くの人にとって愚かに映るかもしれませんが、「人にはできないことが神にはできる」(ルカの福音書18章27節)と考えたら、どうでしょうか。キリスト教の信仰は、復活のイエス・キリストなくしては語れません。彼は、私たち人間が一番恐れている「死」に克服され、勝利されたのです。彼が十字架に架かったのは私たちの罪のため、また、よみがえったのも私たちに死に打ち勝つ永遠のいのちの希望を与えるためでした。この希望は決して失望に終わることはありません。

私たちキリスト者は、一人でも多くの方に、このイエス・キリストにある希望を知って頂きたいと切に祈っています。皆さん、どうぞ、いつでもどなたでも教会にお越しください。

キリスト教 朝顔教会 副牧師 三木新

イースター礼拝

4月24日(日) 10:30〜12:00

イースターを記念して祝う礼拝です。教会が初めての方もぜひお越しください。

その他イースターの集会